2013年4月4日木曜日

再出発です

突然なんですが、ここでの私のブログは今日で最後にしようと思います。
このブログを読んでくれてる方には私事で大変な心配をかけてしまいました。

もうどうしたらいいのか分からない暗闇の中で書いたあのブログはすごく悩んだけれど、消すことにしました。
もしも万が一でも私の家族がそんなことがあったんだと知ってしまう事を思うと、順調に楽しく過ごしていることを信じている気持ちを裏切ってしまうような罪悪感もあります。
でも多分、何よりも私があの時の気持ちをはっきり思い出してしまうのも怖いんだと思います。
っていうか忘れることはないと思うけど、それはこれからの教訓としても、心の中だけでの記録にしたいと思います。

このブログはマッサージを仕事として再開して、サロンを細やかながらオープンし、その為に開設しました。いつの間にか日々の出来事からくだらない世間話まで気づけば結構な数の私のツブヤキを見ててくれた皆様本当にありがとう。

自分でもたまに読み返してみると、初めてお客さんを招いた時の気持ちやドキドキ感、それに子育ての悩みなどを思い出させてくれるとっても大事なメモリーでいっぱいです。

今、こうして、オーストラリアへ一家で引っ越しをし、まさに家族一緒に再出発の今、きっと書く内容も今までとは違うはず。
このブログは病棟一家の日本編ということで締めようと思います。

そして病棟一家のオーストラリア編はhttp://ameblo.jp/my-little-man/ ←こちら「今日もここでも味噌スープ」でつぶやいていきたいと思います。

もうすぐ3か月が経つというのに、まだ毎日が新しい事の連続だったりします。前向きに頑張る病棟一家をまた良かったら応援してください。それでもってやっぱり新しいブログでも目標はマッサージビジネス イン オーストラリア!

Lots of LOVExxx ミセス病棟


2013年2月19日火曜日

花を咲かせる準備

こちらに来てから早や、一か月と10日。。
前回はあんなブログで皆さんに大変な心配をかけてしまって本当にごめんなさい。
あの時は出口のない真っ暗なトンネルに入ってしまった不安でいっぱいだったものの、こうして時間が過ぎて、出口が見えてきたかな。。

自分がいざ本当に体験したことのない困難に陥ると、今まで信じてきた、自分を元気にする方法が全く効かなくて焦ったな。いやーーー本当に人生は何が起こるかわからない。だから面白いなんて今はまだ当分言えそうもありましぇーーん。

とりあえず、とりあえず、ご心配おかけしました、紅花さんは回復に向かい、先週からは退院もし、自宅療養。Kennyも学校はこの3週間でまだお休みなし、2回くらい行きたくなくて逃げ出したけど、
お迎え時にはニコニコしてくれてます。

ハム子ちゃんは先日無事に2歳の誕生日を迎え、新しくお友達になったご近所さんたちにパーティーまで開いてもらえるほど、私もこの地に馴染んできました。

ここでは私は外国人だけど、オーストラリアなんて外国人だらけだし、心を開いて、(しかも人見知りの私としてはかなり勇気を出して)出来るだけ自分から挨拶をしたり話しかけたりすると、なんだかんだで、友達が今日本に居るとか、学生の頃日本に少し留学してたとか、来週から出張で東京に行くんだ!とか日本に関係した事で話をしてくれるので、外人だからと気遅れしないで、日本人であることに自信を持てるのも嬉しいかな。

どんなに人生真っ暗な気持ちの時でも、嫌でも朝、昼と送り迎えするために学校まで行くのは良かったかもしれないな。そうでもないと、きっと一日暗ーーい部屋でクラーーイ気持ちで悶々としていたに違いない。

昨日、少し紅花さんとゆっくり話しをする時間があって、全て起こることには意味があると考える私たちは、きっと今回の辛い出来事も意味があったんだと。。
特にこっちに来てからは大変な分、家族が力を合わせて乗り越えようとしたお蔭で私はきっと随分予定よりも早く自立したと思う。
必死に車を運転して土地を覚えて高速も乗れるようになったし、Kennyは学校に嫌々する余裕も無かったのもあって、頑張って通えるようになった。

ハム子は、、まぁマイペースに 笑

紅花さんは頑張りすぎた分身体を休める時間が必要だったんだときっと今回の出来事が病棟一家に教えてくれたかな。。

まだまだ不安は、現在進行形ですが、やっと自分のやりたいことをしてやろーーっと思えるようになった私は昨日YOGAデビューしてきました。
ずっとリサーチしてて、行きたかったそのスタジオは思っていた以上にレベルが高くて約2時間みっちり、超マッチョなおじさんやYOGAマスターみたいなインド人にまじってやってみました。
すんごいおばあちゃんが超余裕で頭立ちからどんどんアーサナを変えていくし、ほぇーーー私はまだまだだな。。と思いつつもこれから頑張るぞーーー!とモチベーションが上がりました。

とりあえず、今日は筋肉痛なのでゆっくり身体を休めてます。

こうしてその後、、のブログか書けるほど立ち直れたのは他でもないブログを読んでエールを送ってくれた皆様のお蔭。
神様は乗り越えられない試練は与えない。 苦労は若いうちに買ってでもしろ。 感謝の言葉を忘れない。どんなに辛くてもネガティブな事を言わない。。これからも落ち込んだ時はこういう言葉に助けられると思う。
そして、遠く日本から電話をくれたJちゃん。しんどい時に声が聴けて嬉しかったよ。ありがとう。

ってか、まだまだ現在進行形だってばーー。でも一番辛かった時の気持ちを思い出せば乗り越えられることは多くなったと思うから大丈夫だと思う。

本当にご心配かけました。とりあえず、根を張りつつ花を咲かせる準備をしている病棟一家です。
ありがとう。

2013年1月19日土曜日

ブリスベンより

丁度、今日で日本を発って10日か。
生きてます。。

飛行機で軽く死んでたけど。。
子持ちの母には恐怖の話、します。

これは実際に起こった飛行機での恐怖のおはなし。
一週間前のフライト、実は訳あって、一足先にオーストラリアに帰って行った紅花さん
ということで二人の子連れでのフライト。どうなることやらと思っていたけれど、思い出しただけでも
これ以上悲惨なことは飛行機が落ちることくらいかもと思えてくる。

取りあえず、ハム子!魔の二歳児!!!
最初の手荷物検査の時から、リュックを外すまいと逃げ回り捕まえてリュックを取ったら亀がひっくり返ったみたいにギャーーーーーーーと泣きわめき、それだけで私の脇汗マックス。
その次の出国審査でも一人でエスカレーターが降りたかったとか何とかで、亀がひっくり返って、そんな私たちの横を、どうか同じフライトじゃありませんようにと、祈りながら通り過ぎる人達。

満員のエコノミー、三人掛けから席を変更できず、私達の隣に来たのは、あんた、絶対インフルエンザでしょ?っていいたくなるくらい調子悪そうなおじさん。ものすごい勢いで咳したり、鼻をかんだり、明らかに熱のある顔でリリィを見て首を振るの辞めてください。

しかもリリィに与えた最後の頼み綱の眠くなるお薬が、、、、彼女をフライトパーティーへ。。。。
スーパーハイになったリリィを誰も止めることはできず、床で転がって泣いては隣のおやじにまた首を振られ、大暴れするのを必死に抱きかかえては、新品のネックレスを引きちぎられ、泣きそうな私の横で、うぅぅぅぅーと唸るKennyが言った言葉は「ゲボ。。。」ぎゃーーートイレに走れーーとリリィとKennyを抱えてトイレへ。
一晩中それの繰り返しでした。
極めつけは気圧の変化かずっとストレスで止まっていた生理が始まり、もう全てがどうでもよくなった。。

今思い出せばもう笑い話だけど。でもマーしばらく飛行機はいいかな。。

そんなこんな笑い話のブリスベンから第一回の報告だけど、実際は日本を発つ前から色々と大変な事が重なりもう最後の一週間なんて泣いてない日が無いほどの日々でした。
空港でも、絶対に泣かないと決めたのに父と母の顔を今でも思い出しただけで心がキュッとなるくらいの思いです。

これは、親不孝なことなのかな。。とか不安な気持ちとかグルグルで前向きになれないでいた私の一番の支えになってくれたのが実はKennyでジィジとバービィーにはまた必ず会えるでしょ?悲しいお別れじゃないでしょ?って本当に肩をギュッとしてくれました。

惚れたぜ。。あのオッパイ中毒者だったくせに。。大きくなって。。とそんな今の気持ちです。

まだまだ快適には程遠いけど、家族が一つになって前に進む!という方針は変わらずにここまで来ています。
明日からはいよいよゴールドコーストの新居に引っ越しです。最近は毎晩遅くまでIKEAの家具たちを組み立てる日々でした。でもここはオーストラリア、デリバリー頼んだ商品が一つ二つ足りないのは当たり前なので、ベッドの枠はあるのにマットレスが無いので意味不明です。

家の玄関のドアのロックが中から出来ないのも不明です。そのくせ管理人のおっちゃんが週休三日で昼間も3時くらいまでしか働いていないのも不明です。まだまだ不明なことがいっぱいおこりそうな久しぶりのオーストラリアだけど、取りあえず笑顔で過ごしたいです!
まずは、友達をつくるぞー

あ、そうそう、今日前アパートの住人Makikoにスーパーで再会しました。彼女も元気でした。

今度は、ゴールドコーストからのブログになります。

写真はやっと組み立てたソファーと松崎に近づきつつある私。